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鮎の豆知識

アユはいつから鮎?

鮎の語源に関しては、様々な説が伝わっている。
中でも最も一般的なのは「あゆる」が「アユ」になったという説。「あゆる」とは「おつる」の古語で、鮎が春になると川を上り、秋には川を落ちる(下る)ことから、おつるが変化したものと言われている。

中国では、鮎に「年魚」という漢字が用いられた。これは鮎が春に生まれ、夏育ち
秋に衰え、冬に死ぬという一生を送ることから使われたとされている。

日本で最も古い文献では「古事記」(712年)「日本書紀」(720年)のどちらにも
鮎は年魚として登場している。いずれも神功皇后が現在の佐賀県で鮎釣りをされたという話だが、ここでは「日本書紀」の記述を紹介しよう。

夏(4月)新羅遠征の前の熊襲征伐のとき。
神功皇后は、肥前国松浦県(まつうらのあがた、佐賀県)にいき、玉島里の小川のほとりで食事をされた。その時皇后は針を曲げて釣り針をつくり、飯粒を餌に、裳の糸を釣り糸にし、川の中の石にのぼって釣り糸を垂れた。
そして「私は西方の財の国を求めている。もし事を成し遂げることができるなら川の魚よ釣り針を食え!」と言われた。竿をあげると年魚がかかっていた。皇后は「めずらしい魚だ」と言われた。

そこで、その地を名付けて梅豆羅国(めずらのくに)というようになり、現在の松浦は「めずら」がなまったものとされる。また、その国の女性は4月になると針を垂れて年魚をとるようになった。
この話から神功皇后が進軍するに当たって魚釣りをもって、その成果を占ったことがわかる。もともと女性による「釣り占い」の風習があり、それをこの「伝説」に取り入れ同時に鮎という文字の誕生となったのではないかと言われている。

参考資料/斎藤邦明著「鮎釣り大全」